思い通りじゃなかった。でも、悪くない人生だった。

思い通りじゃなかった。でも悪くない人生だった。

若い頃の私は、

人生には正解があると思っていました。

就職して、

仕事を頑張って、

少しずつ出世して、

家族を守っていく。

そんな未来を、

当たり前のように思い描いていました。

でも、

人生は予定どおりには進きませんでした。

病気もしました。

思うように働けなくなった時期もありました。

諦めたこともあります。

悔しくて、

自分を責めた日もありました。

それでも今、

こうして振り返ると、

不思議なことに思うのです。

「悪くない人生だったな。」

そう思える景色が、

今の私には見えています。

人生には、予定表どおりにならない日がある

若い頃の私は、

人生には、

正しい順番があると思っていました。

人生は努力すれば、

思いどおりになると思っていました。

週に1冊はビジネス書を読んで、ニュースは毎日情報収集して、どうすれば、時間短縮できるか、時短ノウハウを学んで…

頑張れば報われる。

努力すれば追いつける。

そう信じていました。

だから、

予定どおりに進まない出来事が起こるたびに、

「自分の努力が足りなかったんだ。」

と思っていました。

でも、

人生には、

努力だけではどうにもならないことがあります。

病気。

別れ。

大切な人との別れ

思いがけない挫折

失敗。

人生には、人それぞれ違う「まさか」があります。

予想もしなかった出来事。

そんな「まさか」は、

誰にでも訪れるのかもしれません。

だからこそ今は、

人生は予定表どおりに進まないものなのだと思っています。

人生は、予定どおりに進まなかった。
でも、その寄り道で出会えた景色は、予定表には載っていなかった。

あの頃描いていた人生

若い頃に思い描いていた未来を書いてみたいと思います。

仕事は順調に進み、

少しずつ出世していく。

健康で、

家族と穏やかに暮らしている。

そんな毎日が、

当たり前のように続いていくものだと思っていました。

もちろん、

努力は必要です。

だから私は、

本を読み、

仕事を覚え、

少しでも成長しようと必死でした。

「努力するのは前提。その先には、なんとなく右肩上がりの人生が待っていると思っていました。」

人生には、

上り坂もあれば、

下り坂もある。

そんな言葉は知っていました。

でも、

正直なところ、

「まさか」が自分に訪れるとは思っていなかったのです。

あの頃の私は、未来は自分で描くものだと思っていました。

でも今は、人生は描いた地図どおりではなく、歩いた道そのものが人生なのだと思っています。

予定外だった出来事

30代後半で、

私は脳梗塞を経験しました。

それまでの私は、

「やれ、やれ。」

「どんどんやれ。」

そんな勢いで仕事をしていました。

できないのは、

努力が足りないから。

そう思っていました。

自分にも。

そして、ときには周りの人にも。

でも今思えば、

そんな働き方ができていたのは、

健康な身体があることを、当たり前だと思っていたからなのです。

病気になって、

以前のようには働けなくなりました。

無理をすれば、

身体が教えてくれます。

「もう、その働き方は続けられないよ。」と。

最初は悔しかった。

何度も、

昔の自分に戻りたいと思いました。

でも、

無理ができなくなったからこそ、

見えるようになった景色もあります。

本当に大切な仕事。

本当に大切な人。

そして、

本当に大切にしたい自分の時間。

以前の私なら、

気づかなかった景色が、

今は目の前に広がっています。

あの日は、人生の予定を大きく変えた日でした。

でも今思えば、新しい人生の始まりでもあったのかもしれません。

寄り道で見つけた景色

人生が変わったあの日から、少しずつ、私の見える景色も変わっていきました。

以前なら気づかなかったこと。

立ち止まらなければ見えなかったこと。

そんな小さな景色が、

今では私にとって大切な宝物になっています。そんな小さな景色が、

今では私にとって大切な宝物になっています。

家族との時間

以前の私は、

仕事を優先することが当たり前でした。

家族のために働く。

生活のために働く。

だから、

家族との時間を削ることも、

仕方がないことだと思っていました。

むしろ、

家族もそれを理解してくれるのが当たり前。

そんなふうに考えていたのかもしれません。

でも、

病気を経験して、

初めて気づきました。

子どもたちの父親は、私しかいない。

でも、

会社で私の代わりは、

きっと誰かが務めてくれます。

もちろん、

仕事は大切です。

責任もあります。

でも、

子どもたちにとって、

「父親」という役割だけは、

誰にも代わることができません。

仕事の忙しさを理由に、

その時間を失ってしまったら、

きっと私は、

いつか後悔する。

そう思うようになりました。

だから今は、

仕事も頑張る。

でも、

家族との時間も大切にする。

そんな働き方を選びたいと思っています。

あの寄り道がなければ、私はこの景色を見ることはなかったのかもしれません。

「ありがとう」が増えた

以前の私は、

「すみません。」

という言葉をよく使っていました。

お願いをする時も。

助けてもらった時も。

とりあえず、お礼を言っておかなければ。

そんな気持ちで口にしていたこともあったように思います。

でも今は、

「ありがとうございます。」

という言葉が増えました。

病気を経験して、

以前のようにはできないことも増えました。

だからこそ、

誰かが手を貸してくれることが、

当たり前ではないと知りました。

一つひとつの優しさが、

本当にありがたい。

そう思えるようになったのです。

だから最近は、

「ありがとうございます。」

という言葉が、

以前よりずっと自然に出てくるようになりました。

感謝は、

礼儀として伝えるものではなく、

心が動いたときに自然とあふれるものなのかもしれません。

の気づきは、以前書いた『「すみません」より、「ありがとうございます」を増やしたい。』(橘の気づきノート #006)でも、もう少し詳しく綴っています。

「ありがとう」は、相手に伝える言葉だと思っていました。

でも今は、自分の心を穏やかにしてくれる言葉でもあると感じています。

席を譲れるようになった

少し不思議な話かもしれません。

身体が以前のように動かなくなったのだから、

私は席を譲ってもらう側になると思っていました。

でも実際は、

逆でした。

「どうぞ。」

そう言えることが、

以前よりずっと自然になったのです。

もちろん、

若い頃も席を譲ろうと思ったことはありました。

でも、

「断られたらどうしよう。」

「かえって迷惑かな。」

そんなことを考えて、

結局、声をかけられないことも少なくありませんでした。

でも今は、

あまり迷わなくなりました。

うまく説明はできません。

辛い人の気持ちが分かるようになったから、

というだけでもありません。

たぶん私は、

以前よりも、

人からどう思われるかを気にしなくなったのだと思います。

格好よく見られなくてもいい。

完璧じゃなくてもいい。

そんなふうに、

少し肩の力が抜けたことで、

「どうぞ。」

という言葉も、

自然に出るようになったのかもしれません。

誰かに優しくできるようになったというより、自分の心に少し余裕ができた。

だから、その余裕が自然と周りに向かうようになったのかもしれません。

この日の出来事は、『席を譲れた日、自分も少し優しくなっていた。』(橘の気づきノート #004)にも綴っています。

「忙しさ」を手放すようになった

以前の私は、

忙しいことが、

頑張っている証だと思っていました。

忙しい自分は、

世の中の役に立っている。

必要とされている。

だから価値がある。

そんなふうに、

どこかで信じていました。

反対に、

時間に余裕がある人を見ると、

「もっとできるんじゃないかな。」

そんなことまで思っていたかもしれません。

でも今は、

まったく違う景色が見えています。

忙しいことと、

価値があることは、

同じではありませんでした。

本当に大切なのは、

どれだけ予定を詰め込むかではなく、

何を大切にして働くか。

心に余裕があるからこそ、

人の話を最後まで聞ける。

ミスにも落ち着いて対応できる。

「ありがとう。」

も自然に言える。

忙しさを手放したことで、

私はようやく、

仕事を楽しむ余裕を持てるようになりました。

忙しさは、私の価値を証明してくれるものではありませんでした。

心に余裕があることのほうが、ずっと豊かな働き方だったのです。

この気づきは、『「忙しい自分」を卒業したら、仕事が少し心地よくなった。』(橘の気づきノート #009)でも詳しく綴っています。

人生は、後から意味がわかる

あの頃の私は、

「なんで自分だけ。」

そう思っていました。

何度も、

何度も、

そんなことを考えました。

未来なんて、

想像する余裕もありませんでした。

でも今なら、

少しだけ違う景色が見えています。

あの出来事があったからこそ、

今の考え方に出会えました。

無理をしない働き方。

家族との時間。

「ありがとう」と言える毎日。

そして、

このブログを書く時間。

あの日の私は、

そんな未来が待っているなんて、

想像もしていなかったと思います。

だから私は、

「あの出来事が良かった」とは言えません。

できることなら、

経験しない人生のほうが良かった。

そう思う気持ちは、今でもあります。

それでも、

あの日の苦しさは、

決して無駄ではありませんでした。

あの日があったからこそ、

今の私がいます。

病気は、私からたくさんのものを奪いました。

でも、本当に大切なものを教えてもくれました。

人生は、前を向いているときには意味がわからない。
でも振り返ったとき、あの寄り道にも意味があったことに気づく。

H2:まとめ

人生は、

思い描いていたとおりにはなりませんでした。

仕事も。

健康も。

未来も。

若い頃に描いていた予定表とは、

ずいぶん違う人生になりました。

でも、

今の私は思います。

思いどおりにならなかったからこそ、

出会えた景色がありました。

家族との時間。

「ありがとう」と言える心。

誰かに席を譲れる余裕。

忙しさを手放して、

自分らしく働ける毎日。

どれも、

あの頃の予定表には書かれていなかったものです。

人生は、

予定どおりに進まないことがあります。

でも、

だからこそ見つかる幸せもある。

もし今、

思いどおりにいかない毎日の中で立ち止まっている人がいたら、

焦らなくても大丈夫です。

今はまだ意味が分からない出来事も、

いつか振り返ったとき、

「あの寄り道にも意味があった。」

そう思える日が来るかもしれません。

私自身も、

まだ人生の途中です。

これから先、

また予定外の出来事が待っているかもしれません。

それでも、

その時々の景色を大切にしながら、

自分のペースで歩いていきたいと思います。

今日の気づき

人生は、思いどおりにならない。

でも、

思いどおりにならなかったからこそ、

出会える景色がある。

Life Grows Softer.

人生は、少しずつ穏やかになる。

今日も、まぁいいっかと思える自分でいましょう。

橘の気づきノート #010